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井上靖「氷壁」のモデル、登山家・石岡繁雄氏(88歳)が亡くなられた。 昭和30年1月前穂高で実弟を失い“ナイロンザイル事件”を発生させる。 北アルプスを登山中の弟がナイロンザイルの切断で転落死した原因を独自に究明。 その事故の経緯などは井上靖の小説「氷壁」の題材になった。 使い方が悪かったとしてザイルの安全性を強調するメーカー側、 専門家の大学教授に対し、自ら強度実験に取り組み、ザイルの欠陥を証明。 メーカー側の責任を追及した。 井上 靖氏 評 (石岡著書-屏風岩登攀記-刊行によせてより) 石岡さんは名アルピニストであると共に、志を持った数少ない登山家の一人である。 私は氏の実弟の遭難事件をモデルにして『氷壁』という小説を書いているが、 私に『氷壁』の筆を執らしめたものは、事件そのものよりも、 寧ろその悲劇を大きく登山界にプラスするものであらしめようとする 氏の志に他ならなかったと思う。 屏風岩完登の壮挙は日本山岳界の大きい事件であり、 言うまでもなく氏の不屈な闘志によって成就されたものであるが、 氏によって為されたということが大きい意義を持つものではないかと思う。 氏は記録を造る人でなく、山に志を刻む人であるからである。 NHK土曜ドラマ「氷壁」原案より 穂高岳の難所に挑んだ小坂は、ナイロンザイルが切れて墜死する。 彼と同行した魚津は、自殺説や醜聞にもめげず、友の死の真相究明に全力を注ぐ。 そして小坂の恋人だった美貌の人妻美那子への思慕を胸に、 困難な単独行を敢行する…。 雄大な自然と都会とを対応させ、完璧な構成のもと、 恋愛と男の友情を劇的に描く。 小説「氷壁」の一節より 魚津恭太は、列車がもうすぐ新宿駅の構内へはいろうという時眼を覚ました。 周囲の乗客はみな席から立ち上がって、棚の荷物を降ろしたり、 合オーバーを着込んだりしている。 松本でこの列車に乗り込むと、魚津はすぐ寝込んでしまい、 途中二、三回眼を覚ましたが、あとはほとんどここまで眠りづめであった。 時計を見ると八時三十七分、あと二分で新宿へ着く。 魚津は大きい伸びをして、セーターの上に羽織っているジャンパーのポケットに 手を突込むと、ピースの箱を取り出し、一本くわえ、窓の方へ眼をやった。 おびただしいネオンサインが明滅し、新宿の空は赤くただれている。… >「続・山で死なないために」 (武田文男 朝日新聞社)より石岡繁雄 (1918生) 石岡家は、家族登山の「元祖」のようなものだ。 孫まで、みんなが登る。 妻敏子(59歳;石岡70歳; 1988年)は、石岡の八高時代の下宿先の娘だった。 「小さい時から山へ連れて行き、仕込んでいるうちに手放し難くなった」そうで、 実家を継がずに、敏子の家へ婿入り。 「もっと幸せなのは娘たちです」 と敏子は楽しそうにいう。 「長女は梓、次女はあづみ、と上高地ゆかりの名をつけてもらって、 パパのリュックに入って穂高に登ったんですよ」。 いま、梓は43歳(1988年当時)。 二人の大学生の母だが、 名前はやはり穂高からとって、明穂、真穂子。 「家族登山の効用は苦楽をともにすることで、いつも気持がぴったりすることです」 と石岡は語る。 応用物理学者の石岡繁雄は、『屏風岩登攀記』に次のように記している。 「山は、その美しさと厳しさが織りなす綾錦を形成し、 無数の美徳と教訓を提供してくれているはずであり、 ・・・・・・それが私の山への期待でもありました。 しかしながら私の歩いた道には、そういうものよりは むしろ、暗くて悲しい人間の葛藤や、 ナイロンザイル事件のように、社会との闘いといった全く異質のものが、 大きな位置をしめております」
by ikkyuan
| 2006-08-16 22:42
| 日々 つれづれに
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